2021年5月31日月曜日

吉田拓郎「ハネムーンへ」~結婚なんて【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.3】

どうしてレゲエなんだろう

アルバム「シャングリラ」(1980)で「いつか夜の雨が」「ハネムーンへ」(1980)は、1980年あたりで拓郎が傾倒していたボブマリーの影響があったようで、レゲエのリズムが取り入れられています。ラジオでもボブマリーを敬愛しているという話をよくしていたと記憶しています。ボブマリーと言えばかなり社会派のイメージですが、どちらの曲にもボブマリー的な熱量を感じられないのが不思議と言えば不思議です。

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「ハネムーンへ」の歌詞を考えると、ささいな「日本の婚姻」について歌った曲を何故にレゲエのリズムに乗っけてみたのか、約40年間、ずっと不明なままです。同時に、それならレゲエ以外にどんなアレンジが合っているのかも不明なままです。

拓郎の作品の中ではかなり「非・有名曲」をこんな「非・有名サイト」で取り上げてみるのは自分でもどうかと思うのですが、何かが引っかかっているので書いてみます。
それはさておき、この曲は視点がとても第三者的に思えます。拓郎本人の作詞ながら、美代ちゃんやオケイさんのことを歌っているわけではなさそうです。「自分の結婚」を描いたと思われる「結婚しようよ」(1971)とは違って、「誰かの結婚式」に招待されて、思ったことを詩に書き留めたようです。「気分は未亡人」(1984)や「今は恋とは言わない」(2008)も、直接婚姻に言及している作品ですね。(「こっちを向いてくれ」(1972)も結婚に踏み切れない男の話?)

シビアだぁ

誰かに招待された結婚式で心に浮かんだことを書いたのであれば、かなりシビアな内容です。「結婚なんてララーラーララララーラー」とか歌いながらシビアな視線を新郎新婦に向けている感じです。(「結婚しようよ」から10年足らず)
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重たい日々が始まっちまったよ
  「ハネムーンへ」(1980)
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って、おいおい、美代ちゃんの事ではないにしても、拓郎殿、あなたまだ当時は1977年の再婚から3年目だったでしょうに。そう言えば「君をこんなに抱きしめても」でも、すでに
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まだ軽くなれない君と
もう重さになっている僕だから
  「君をこんなに抱きしめても」(1973)
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と、辛辣です。1度目の結婚から2年後です。けっこう拓郎は女性に対して「重いなあ」と感じていたのでしょう。
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ベッドの横に ゆうべの女
目を覚ませよ お前との愛は
午前3時に もう終わってるのさ
  「すいーと るーむ ばらっど」(1983)
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うーん、「ゆうべ~午前3時」って?ゆうべのいつから愛は始まっていたのか?「お前」って誰?そもそも、そこに「愛」はあったのでしょうか。


「熱しやすく冷めやすいのは男か女か?」という議論はあるあるです。拓郎に関しては、「かなり冷めやすい男」なのだろうなと、思ってしまいます。

話を「ハネムーンへ」に戻します。
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拍手を送る友人たちは
ただひたすらに祝いの言葉
  「ハネムーンへ」(1980)
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冷めてますねえ。そんなにいい事ばっかじゃないよと言いたげです(笑)。知り合いの結婚式に呼ばれて、お愛想笑いをしながらも冷めたことを考えている拓郎の「図」が浮かびます。

この結婚に対する辛辣さは1985年あたりまでずっと続きます。森下愛子との結婚後はというと・・・「たえなる時に」(1991)などではどちらかというと肯定的です。一方で、2008年の「今は恋とは言わない」で辛辣な描写が再浮上します。あちらこちらへと気持ちは振れているようです。
拓郎が恋愛や結婚について歌ってきたことは、ちょうど時代の恋愛観や結婚観、性愛観を映し出しているようで、興味深いです。昭和時代後期から平成時代の世相を映し出しているように思えます。
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形式だけの指輪を贈り
  「ハネムーンへ」(1980)
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辛辣すぎますww

もしかして、あの夫妻のハネムーンで

1980年代はバブルに向かって、「婚約指輪は給料の3倍」とかもう宝飾業界の陰謀としか思えないような豪華絢爛な結婚式がトレンディ―wになってゆくのです。私も、何だか指輪って好きじゃないなあと思っています。気が合いますね、拓郎殿。ハネムーンは海外へ行くのが当たり前のようになってゆくのもこの頃だったのではないでしょうか。あの松任谷夫婦でさえ、ハネムーン(1976)は熱海のユーミンの親戚の旅館だったそうです。
ちなみに、拓郎とかまやつさんはこの2人の熱海へのハネムーンについていったそうです。新婚初夜を4人で朝までどんちゃん騒ぎしたという嘘のような話も残されています。それで、新婚初夜をからかったのだとしたら・・・
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新婚初夜をからかう儀式
男と女に生まれてきたんだもの
寄り道したことぐらい許されてもいいさ
  「ハネムーンへ」(1980)
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という一節は、この松任谷夫妻の新婚旅行でどんちゃん騒ぎしている時にも発していたかもしれません。・・・などと考えてみると恐ろしくなってきました。酒を飲んだ拓郎がこの類の言葉を言ってしまったのではと想像してしまいます。「やらかす人・吉田拓郎」ですから。新婚旅行についていくだけでも、かなりやらかしているに、その上「寄り道」などと勢いで怖い言葉を言ってしまったのかも?!ユーミンはからかわれて笑いながらも、心中穏やかではなかったのでは?(注:以上は筆者の妄想です)
この詩が松任谷夫妻の話ではないにしても、「ハネムーンへ」に描かれる2人の間には、婚前交渉がなかったかのような書きぶりです。初夜に「寄り道」が発覚したわけですから。当時高校2年生だった私は、この部分について微妙な受け止めをしました。

バージンの価値とフラットな男女関係

当時の愛読書wだった「映画の友」という日活映画を紹介するエロ本では、インタビューで「18歳で処女喪失」とか言うポルノ女優に対して「それは遅いねえ」とインタビュアーが返すのが定型パターンでした(笑)。婚前交渉もせず、結婚をしてしまうカップルがどれくらいいるんだろうと妄想してしまう高校生の私。同時に、ハネムーンで相手がバージンでないことが発覚するのって、どういう空気なんだろうかとwww
ちょうどこの年、高校の保健の授業で若い体育の女教師が「結婚するまでは処女でいるべきだ」という自説を熱弁していました。「うーん、この先生は未婚なので、処女なのか」というふうに高校生として当然の推測が成り立ちました。そしてー、「すでに同級生に処女じゃないと目されている子たちがいるよなあ」と、その同級生たちがこの先生の熱弁に対してどう思っているのだろうという複雑な疑問も沸き起こり・・・。
この1980年代の始まりを告げるアルバムの1曲「ハネムーンへ」が示す「婚前交渉に関する論考」は、軽チャー(カルチャー)が進攻した1980年代を通して、限りなく無効となり、「婚前交渉」や「婚前旅行」という少し後ろめたい気分を含んだ言葉はほぼ絶滅状態となりました。
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寄り道したことぐらい許されてもいいさ
  「ハネムーンへ」(1980)
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婚姻時を含め、初めて男女が結ばれる時に「女性がバージンではない案件」に関して、男性がそれを非難するのは今やかなり古い価値観です。男が童貞でないことについてはたいてい不問にするのに、平等ではないですね。当時は「(婚前に)処女を喪失していますが、それの何が許されないわけ?」という空気に変わりつつあったのではないかと考えます(高校生だったので知らんけど)。
おそらくこの詩の「許されてもいいさ」は、どちらかというと「女性が結婚時にバージンではない案件」について拓郎は寛容さを示したのだと思います。拓郎はこの案件に対して寛容であったつもりなのでしょう。
「男女のフラット問題」に関して、拓郎はその後、
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あなたが風なら私もそうしておかしくないわね
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女ですもの男みたいにはいかないけれど
誘惑されたらついていきますよ どこかのドンファンに
  「気分は未亡人」(1984)
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とさらに女性の立場に寄った作品を世に出しています。さらにフラットになりつつあります。
「結婚しようよ」(1972)で
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僕の髪が肩まで伸びて 君の髪と同じになったら
約束通り 街の教会で 結婚しようよ
  「結婚しようよ」(1972)
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と歌ったのは、1970年代の「男女のフラット」を象徴していたと思います。男性(の髪の長さ)が女性へ近づくわけですからねー。ところが、1980年は「女の時代」と言われ、女性の(性的な)解放のスピードは、拓郎が寛容になるスピードを超えていたのでしょう。団塊世代の中では先進的なフラット思考であったとしても、新人類世代の私には拓郎が古い価値観を背負っているのは否めないように思えました。

拓郎の男女観と世の中の男女観

昭和は価値観が激変しており、5年周期ぐらいで「団塊世代以降の婚姻に関する様相」は変わっていったように思います。図らずも拓郎は女性の解放のスピードに「ついていこうとしたけれどついていけなかった団塊世代の一側面」を体現したのかもしれません。拓郎の作品の中には女性に対して先進的にフラットである時もあり、昭和的な男尊女卑が見え隠れるす時もあります。2020年あたりのラジオでは、夫婦間での男女関係の逆転についても幾度か語っていました。私にとって、拓郎が女性との恋愛・性愛にどう対峙してきたのかという点はとても興味深いです。「男は~、女は~」という論争で決めつけをすることは、令和3年の現在では避けられるようになっている気がします。晩婚化や生涯お一人様率も確実に高まってゆき、離婚件数も高止まりしています。草食男子も普通である状況です。

そして婚姻もまた、「家族をどう捉えるのか」という拓郎がずっと抱えてきたテーマです。「家族」のことまで触れ始めると話がどんどん長大になっていくので、このへんで止めておきます。
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今や結婚前に同棲することや妊娠することは普通になってしまいました。また結婚式直後に必ずハネムーンに出なければならないわけでもないそうです。これについては1970年代の「同棲時代」時代と何が同じで何が違うのか、よくわかりません。多分、1970年代に都市部で起きていた現象が、全国的に広がったのではないかな。どうなんだろう。
最後に、Bob Marley - No Woman, No Cry ↓↓↓



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