誰がアホやねん
吉田拓郎「俺が愛した馬鹿」は、引退の噂が広がっていた1985年の発売。アルバムのタイトル曲です。アルバムで愛した女を「馬鹿」呼ばわりするなんてモラハラと言われかねませんね。
関西では、「アホ」は愛されるべき存在で、褒め言葉の一つです(ホンマか?)。また、女子に「もー、バッカねー」なんて言われるのはちょっと愛情を感じて嬉しかったりしませんか?
この曲の「馬鹿」にも、いくらかの愛情は含まれているような気がします。
「馬鹿」は誰でしょう
「死んでください」と女性に言われる状況がどういうものか、当時はよくわからなくて、あまり考える気にもなれなくて、この曲について考えることを放置していました。初めてこの曲を聞いた時には、「どーせ森下愛子とよろしくやってんだろー」って感じで、痴話げんかレベルだと考えていました。あるいは、当時の拓郎は引退をほのめかしていたし、ジャケット写真がエレキギターなので「あいつ」は人ではなく、「音楽」ではないかなどと邪推していました。舞姫(1978)にもこのモチーフは使われています。歌詞は松本隆です。
「死にましょう」 ため息まじりの冗談に 「死ねないよ」 年月だけがあとずさる「死にましょう」 女の瞳の切っ尖に 「死ねないよ」 淋しさだけが押し黙る
今もなお、吉田拓郎に死を迫る「馬鹿」が誰なのかはきちんとは分かっていません。しかし、最近になって、「馬鹿」は森下愛子ではなく、浅田美代子なのかもしれないと思うようになってきました。
「俺が愛した馬鹿」の前年「フォーエバーヤング」(1984)の「君が先に背中を向けてくれないか」では、
明るい笑顔が 戻る日はすぐ来るさ
だから泣かないで 僕を見つめないで
君が先に背中を 向けてくれないか
と懇願する拓郎。「君」はおそらく当時の浅田美代子夫人。「俺が愛した馬鹿」でも「背中を向ける」というフレーズが出てきています。
とうとう俺は あいつに 背中を向けた「君」と「あいつ」が同一人物だとしたら「俺が愛した馬鹿」は美代ちゃんとの事を歌っていることになるのかな・・・と考えています。
「君が先に背中を向けて」欲しかったのだけれど、背中を向けたのは、俺。じゃあ「馬鹿」は美代ちゃんになるのか?美代ちゃんが「死んでください」とか、そんなに重い事を言うかなー?「フォーエバーヤング」(1984)には美代ちゃんとの離別が色濃く漂っており、それが「俺が愛した馬鹿」(1985)へと続いていても不思議ではないです。
「おれが愛した馬鹿」を初めて聞いた時には「森下愛子だー、死んで下さいと迫ってきた―、コワー!」と思っていたのだけれど、どうなんだろう???????
いや、オケイさんの可能性もあるか??・・・ないか。
時間に身を まかすぐらいだったら行きずりの男に 抱かれた方がいい
褐色の瞳は いつも燃えていた
何かを必死になって 求め続けてる
この一節にも混乱。行きずりの男に抱かれたいほど性欲が強い馬鹿なのか。そんなに性欲を燃やしているのか?そもそも、「時間に身を まかすぐらいだったら行きずりの男に 抱かれた方がいい」と言っているのは「馬鹿」(=あいつ≒美代ちゃん?)なのか「作詞者」(=拓郎)なのか??
歌詞全編に謎のフレーズが埋め込まれていて、「馬鹿」が誰なのかを考えなければ到底読み解くことができません。
愛されたいから震えている「私」は誰でしょう
この「俺が愛した馬鹿」の謎は同アルバムのラストに置かれている「風になりたい」の謎にも通じます。「風になりたい」を新レーベル「フォーライフ」の新人川村ゆう子に提供したのは1976年であり、四角佳子さんとの離別前後に作られた曲であると考えられます。おそらく当時は、次の妻となる浅田美代子との付き合いがあった期間であると考えられます。そうすると「私を離した時の隙間風」の「私」が美代子さんということになります。
1976年、街中を濡らした長い雨の後に「もうすぐ朝です、少し寒い」というシーンは妄想なのか、実話なのか。2人(拓郎と美代子?)の躊躇・戸惑いが「愛されたいから震えていました」「抱きしめられてもあなたをつかめない」「追いかけたくても一人で残ります」に表れているのか?夜明けに男女の話が傘をさして歩いているって相当シュール。男性が既婚者の拓郎であるとすると、さらに情景の緊張感が増します。追いかけたいのだけれど、倫理的にいけないことは十分に分かっていて、逡巡してしまう2人。
アルバム「おれが愛した馬鹿」(1985)が「風になりたい」で閉じられている意図を考えずにはいられません。拓郎は美代ちゃん(馬鹿)との決別をこのアルバムのラストに記し、捧げたのではないかと。(当時、森下愛子とはうまく行っていなくて、一旦、別れたのかもしれないという考え方も可能かもしれませんが・・・)
美代ちゃんとの離婚は、なぜかテレビメディアで会見をして淡々と長々と語られました。当時の芸能界のしきたりにハマっていて、拓郎らしくないなと。「酷な発言」もあり、引退状態だった美代ちゃんにとっては反論や訂正を述べる機会がなく、アンフェアではないかと感じました。(オケイさんとの時にはラジオで直接リスナーに語るという形をとっています)
アルバム「おれが愛した馬鹿」(1985)は離婚から1年を経て、拓郎の心の底にあった美代ちゃんへの悔恨の想いを反映しているような気がしています。当時の私は、「作曲能力が衰えたので昔の名曲を引っ張り出してきた」のではないかと単純に考えていました。しかし、打ち込みサウンドが無機質に鳴り響きながら終わる「風になりたい」を改めて聴くと、「引退(拓郎はこの時期、直後のつま恋コンサートでの引退をほのめかしている)」を含めた当時の拓郎の気分の重さが見えてくるような気がします。
2度目の隙間風
1976年に吹いていた美代ちゃんとの隙間風は結局のところ結婚という選択をしたことによって埋められます。「私」(美代子)は逡巡しながらも、「私も今すぐ風」となり拓郎を追うことになります。
しかし「気分は未亡人」(1984)の中で、「私」(たぶん美代子)は、「あなたが風なら私もそうしておかしくないわね」と、開き直ります。「あなたは古い」ともう拓郎を追いかけようとははしません。「気分は未亡人」のドライで突き放したような歌詞と曲調・アレンジには2人のパサパサした関係を感じさせられます。隙間風が再び吹いて拓郎は美代ちゃんの元を「通り過ぎ」て戻ってこないことになってしまいます。2人は再び吹く風に舞い、別々の方向へ流れていきます。
2つの「風になりたい」を比べ、その間の拓郎と美代ちゃんのことを考えると、せつな過ぎて・・・
それにしても、「長い雨の後」というフレーズは、
「僕のそばに妻がすわる 傷ついた心開き 長い雨はもうすぐ終わる僕たちは肩を寄せる」(長い雨の後に:1973)に使われています。このモロオケイさん(妻)とのモチーフを美代子に使うのはなんだか失礼な気がします。
じゃあ、「風になりたい」の「私」がオケイさんなのかと言われると、それはー、、、違うのかなぁ。子供もいるのに「もうすぐ朝」つまり暗いうちにおけいさんと街をさまよったというのは何だか、変だなあ。「私」がおけいさんだったらそうとう暗い演歌的なシチュエーションになりますねえ。オケイさんの事を書いた曲(1976)とすると、それをわざわざ「俺が愛した馬鹿」(1984)のラストに持ってくるのは変だなあ。
もしかすると「つかめないあなた(拓郎)」に「戸惑うオケイさん・美代ちゃん」の両方をモデルにしているしているのかもしれないです。まさかのダブルキャスト。女性にとって男は風のように通り過ぎる存在であると。
「風になりたい」のメロディーは、悲しみを感じると同時に何だか愛が溢れていて、どうも躊躇する美代ちゃん、揺れる美代ちゃんの心情を表している気がします。
美代ちゃんが歌う「風になりたい」を妄想しています。もし、あの不安定な歌唱力でボソボソと美代ちゃんがこの曲を歌ったら、泣いてしまいそうです。
「風になりたい」の「私」が美代ちゃんなのかオケイさんなのか。
「俺が愛した馬鹿」の「あいつ」が美代ちゃんなのか、森下愛子なのか。
それによってはずいぶん違う話になってしまいます。「誰」に何故歌ったのかによってずいぶん意味が違って聴こえてきます。曲の発表からどちらも数十年が経っていますが、私はどちらも美代ちゃんではないかと思うようになりました。
「もしかしたら3人の妻の誰でもないかもしれない」「どこかのオネエチャンとの話?」とか??妄想が止まらない―!
素晴らしい!あいこパパより
返信削除「風になりたい」の「俺が愛した馬鹿」バージョンは暗くて好きにはなれれないけど、その背景を上記のように想像すると、それもまた貴重な一瞬だったのかなとも思えてきます。
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