2021年5月31日月曜日

「青春の詩」吉田拓郎の正直 ~デビューでいきなり●●●【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.0】

いきなり”SEX”

「青春の詩」(1970)は吉田拓郎のファーストアルバムであり、アルバムからのシングルカット曲で、アルバムの1曲目に位置しています。


本人作詞のこの曲、のっけから長い(6分19秒)。一連は三行からなり、十九の連の最後の行がどれも

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ああ、それが青春
  「青春の詩」(1970)
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となっています。

フォークソングにしびれてしまって
反戦歌を歌うこと
ああ、それが青春
  「青春の詩」(1970)
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の次の連で

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SEXを知り始めて大人になったと
大喜びする事
ああ、それが青春
  「青春の詩」(1970)
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と、お書きになりなさる。こんな2連を並列するところが、なんとも拓郎らしい。SEXというワードをそのまま直球で歌詞に投げ込んでシングルカットまでしてしまうというどストレートな態度は、「1970年の世間」であればキワモノ扱いに近かったのではないでしょうか。当時のお堅い世相的にはかなり型破り・掟破りだったのではないかと思います。あまり正面切って性的な話をメディアで口にするのは憚られていた時代です。加藤茶の「タブー」も、「エマニエル夫人」もまだ浮上してきてはいません。その上、SEXについてのみならず、その直後の連でも、
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親に隠れて酒煙草睡眠薬
果ては接着剤シンナー
ああ、それも青春
  「青春の詩」(1970)
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とおっしゃる。この1970年代当初に色とりどりの19連をよくまあ並列してみたよなと思ってしまいます。
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僕たちは大人より時間が多い
大人よりたくさんの時間を持っている
大人があと30年生きるなら、
僕たちはあと50年生きるだろう
  「青春の詩」(1970)
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と、大人を挑発するようなことも言っています。真面目な中学生であった私はこれちょっと不謹慎じゃないのかと思いました。当時から50年以上が経ちましたが、もし50年を待たずに拓郎が亡くなっていたら、「そんなこと言ってるからだよ」と言われるんじゃないかと心配していました。よかったね、拓郎。
ついでに「老人の詩」(1971)という替え歌も作っていて、敬老派の私としては、罰が当たるのではないかとドキドキしていました。
吉田拓郎の魅力は、こうした直線的な言動なのでしょう。普通は言わないことを言ってしまう、やってしまう。言いたいことを言って、歌いたい歌を今歌ってしまうのが拓郎です。フツーの人は普通のことだけ口にして普通に過ごす。本音なんてなかなか言いません。波風を立てるのを面倒くさがるものです。
タブーや掟を正面突破すれば過剰なレスポンスを受けることになります。

暴風の中、船が進むがごとくであった拓郎の1970年代、どれだけたいへんな状況であっても突き進んでしまう性向が半端ない。
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人生と言う船が進むよ
海が荒れても風が病んでも 帆を張って
  「帰らざる日々」(1980)
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「青春の詩」の結びでこのように語ります。オチャラケながらも、最後にはこうたたみかけます。
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この貴重なひと時を僕たちは
何かをしないではいられない
この貴重なひと時を僕たちは
青春と呼んでもいいだろう
青春は二度とは帰ってこない
  「青春の詩」(19
70)
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何かをしないではいられない衝動性。何が拓郎を衝き動かしていたのか。おそらく拓郎の先天的な要素によるところも大きいと思います。これについてはまた他の稿で書いてみたいです。

時代を映しだす鏡

下の歌詞も衝動的ですw
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とても素敵だ君 暗闇を探そう
でなきゃ 安いベッドで
そして キスして遊ぼう
それから あれも
  「からっ風のブルース」(1973)
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これもまたアルバム「伽草子」(1973)の1曲目です。作詞は岡本おさみさんではあるものの、これを1曲目に採用してしまうアグレッシブな拓郎。世間一般の「恋愛観・結婚観・性愛観」と矢面に立って対峙する羽目に。ある意味、1970年代は日本の性革命が進んだ時代で会ったと思います。アンダーグラウンドの存在であった「性」を表舞台へと浮上させるのに、図らずもかなりの貢献?をしてしまったのではなかろうかと。
このアルバムの前後も拓郎の周囲には大きな渦がひしめいていて、まさに渦中、火中の人でした。
「伽草子」前後の話については、
でも書いてみましたのでご参照ください。伽草子の後に訪れる離婚~再婚への流れはさらに混沌としています。
「青春の詩」に始まる(実際は「イメージの詩」がプロデビュー曲)長い音楽活動と実生活の中で、拓郎は恋愛に、結婚(婚姻)に、性愛に、どストレートを投げ続けることになります。ある意味、拓郎は時代を映しだす鏡の様な役割を担っていたのかもしれません。
1970年は奇しくも見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転した年でもあります。都市化が進み、性の解放が進み、女性解放運動も進みました。ウーマンリブとか、かなり過激な運動もありました。「歌は世につれ世は歌につれ」といいます。拓郎が残した楽曲群とその足跡は、団塊世代がイニシアティブを握った1970年~1990年あたりの民衆の恋愛観を知る上で、文化人類学的にも研究に値するのではないかと思います。知らんけど。
中高生として1970年代後半のオールナイトニッポンを聴いていて、本当にこの人、好きな事(そしてエロい事)言うなあと、半ば感心し、半ば呆れていました。
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蹴飛ばしちまえ 吹き飛ばしちまえ
人が勝手に作った レールをはみ出せ
気ままに歩け
  「王様たちのハイキング」(1982)
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良い意味でも悪い意味でも、何かとやらかし気味でしたね。「やらかす人・吉田拓郎」の異名を今、私が付けました(笑)。

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違うかww
いやあ、本当に拓郎さんのおかげで私も色々とやらかしちまったです。
1970年代の拓郎はまさに神がかり的な活躍をしたため、言動への反動を受け止めるのが大変だったろうと思います。あまりにやらかし、あまりに波風が立ち過ぎて1970年代末にはさすがに本当に疲れ果ててしまったのでしょう。拓郎は
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もしも、僕が間違っていても
正直だった哀しさがあるから
  「流星」(1979)
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と、歌っています。「青春の詩」から約10年で哀しくなり始め、約50年後の2019年に最後のLIVEでセミリタイアとなります。本当にお疲れさまでした。
東京を中心とする若者文化の渦中にいた拓郎が「恋愛・結婚・性愛」といった若者のメインテーマをどのように眺め、どのように行動したのかをささやかながらも記してゆきたいと考えています。特に、性愛方面に関してはなかなか語られることもないかと思いますので、私も掟破りで書いちゃおうかと考えています。
PS.
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ジュリー、ショーケン、きんちゃーん
・・・・
ああ、それが青春
  「青春の詩」(1970)
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も、茶目っ気ありますね。既にこの3人が誰の事なのかも、若い世代には分からなくなってしまっていることでしょう。


ジュリーとは数回の対談を手いますし、拓郎が欽ちゃんバンドに出演したこともあります。ショーケンには「美わしのかんばせ」を提供しかけてポシャッたことがあるぐらいが接点でしょうか。ショーケンもジュリーも「やらかす人」でした(警察沙汰複数回)。警察沙汰はやめて欲しいですが「やらかす人」、大好きです。

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