2021年9月25日土曜日

吉田拓郎とロック ~「Live’73」は日本のロックの金字塔

 

吉田拓郎はロックなの?フォークなの?

 吉田拓郎はフォークの人として語られることが多いです。「フォークのプリンス」「和製ボブディラン」と呼ばれていた時期もあって、デービューからの10年ほど(1970年代)は戦略上、本人もことさらにそれを否定していたわけでもないようです。1970年代の日本ではまだまだ演歌・フォークが売れていた状況もあり、ロック音楽の需要が低かったのでしょう。1970年代の後半あたりでやっと「ニューミュージック」というあいまいな言葉で演歌やフォークと違う音楽が認識されはじめたというところでしょうか。

後々のラジオやインタビューで拓郎は、「自分はフォークではない」と度々主張しています。そう主張したいのはよく分かります。拓郎は日本の音楽シーンを演歌・四畳半フォークの流れからポップな方向へと変える大きな原動力になった重要人物であるはずです。であるのに関わらず、「フォークの人」みたいに語られるのは本人としては不本意だと思います。正当な評価が欲しいです。

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50余年の活動期間、ロックっぽい演奏やストリングスを取り入れた演奏やフォークギター一本での演奏など、様々な変遷がありました。広島時代の拓郎はロック大好き少年で、アマチュアバンドとしてロックを演奏していた時期もあったようです。デビューからの数年、「フォーク歌手っぽい売り出し方」をしていたのは、本人としてはあくまで戦略上のことだったのではないかと思います。それは、1973年にこのようなロックなライブをやっていることからも分かります。晩年のライブでは、直前にバックバンドと円陣を組んで「ワンツーロックンロール!」の掛け声を発しているシーンもありました。


そもそもロックって何だろう?

「じゃあ、そもそもフォークやロックの定義は何なのか」と聞いてみても、たぶん誰にもはっきりは言えないのではないかと思います。フォークギターを持って演奏していたらフォークだろうとかいう漠然とした決めつけもちょっと違う。ポピュラーミュージックがサブカルチャー扱いであるために、学問的な定義をされることはなかなか難しいでしょう。

拓郎はけっこうROLLINNGSTONESについて言及しています。「Brown Sugar」みたいな曲を作ってみたいとも発言していました。私はSTONESファンなので、拓郎がSTONESを愛でてくれると嬉しくなります。アマチュア時代に「Tell Me」を歌っていた音源もあり、もしかしたらビートルズよりも好きなんじゃないかと思ったりもします。


「じゃあ、何がロックなのか」と問われれば、私自身のイメージでは、こんな感じです。

シンプルではあるがメロディーが美しい・理屈抜きで突き抜けている・深層にある感情を引き出している・硬質・高揚感がある・衝動的・超絶テクニックが必要なわけではない・いわゆるロックンロールではない・ハードロックやヘビメタではない・ただのガチャではない・こなしていない・脳髄にダイレクトアタック!・不良・反権力・ストレイト・疾走感・荒涼感・神々しさ・狂気を孕んでいる

・・・あくまで私のイメージの羅列でしかないし、あくまで「ROLLINNGSTONES的なロック」という意味です。以降も、私の主観を述べているに過ぎませんよ(笑)。具体的に言うと以下のような曲がRockの名曲だと思っています。

◇Live with me/ROLLINNGSTONES◇アップタイト/矢沢永吉◇人にやさしく/Blue hearts◇Pump It Up/Elvis Costelo◇あばずれセブンティーン/浜田省吾◇あなたに/モンゴル800◇you know you love me/木村カエラ



◇The Promised Lands/Bruse Spring Steen◇気持ちE/RC Succession◇アンジェリーナ/佐野元春◇People Have The Power/Patti Smith◇Low Down/Boz Scaggs◇私は狂っている/吉田拓郎◇Modern Love/David Bowie◇港から来た女/甲斐バンド

・・・どれもドラムとベースが秀逸です。ただの「ガチャ」にならないように、シンプルなメロディーラインでロックを書くことは非常に難しいと思います。若さ(青さ)が必要なだけに、パーフォーマンスとしても、なかなか長きにわたって成立するのは難しそうです。STONESはROCKの名曲を長きにわたって生み出し、演奏してきたという点で、ポピュラーミュージックの中でも稀有な存在でしょう。普通は後世に残すほどでもない「ガチャガチャうるさい作品群」として、一部の人たちの記憶の中で終わってしまうことがほとんどだと思います。東京事変とかもパーフォーマンスとしてはスゲエと思うのだけれど、メロディーラインには限界(=突き抜けていない)を感じてしまいます。


Live’73はJapanese Rockの金字塔


前置きが長くてすみません。やっと本題です。それにしても「Live’73」は拓郎の作品の中で、燦然と輝くロックアルバムです。フォークやグループサウンズの流れを汲みながら洋楽のロックに何とか追いつこうと、試行錯誤を繰り返していた当時の日本のロック界。しかし、セールスに於いてもクオリティに於いてもなかなか追いつけない。Wikipediaの「1973年の音楽」を見ても、まだまだ演歌の力は強く、宮史郎とぴんからトリオがシングル「女のみち」・アルバム「宮史郎とぴんからトリオ」ともにオリコン1位、レコード大賞は五木ひろしの「夜空」。歌謡大賞は沢田研二が「危険なふたり」で獲得していますが、ザ・タイガースやPYGで目指したロック路線が完成度を極めた形とは言い難いでしょう。PYGの両翼であった沢田研二も萩原健一もSTONES的なロックをやりたくて仕方なかったのだろうと思うけれど、それにはまだ少し時間がかかる。供給側の理解と準備も、需要側の「ロックを受け入れる感性」もまだ追いついていなかったのだろうと思います。日本のロックの原点をはっぴいえんどやサディスティックミカバンドに求める人は多いのだけれど、STONES的なロックスピリットには欠けるのではないかな。

クオリティ面・セールス面共に「誰も到達できなかった高み」に最初に到達したのは拓郎の「Live’73」だと思います。このアルバムのスタッフは、当時としてはあり得ないような構成でだったのではないかと思います。高中正義のギターの凄さは勿論のこと、岡澤章(E.Bass)と田中清司(Drums)が実にカッコいい。この強力なバンドに加えてブラスとストリングスまで従えることができたのも、おそらく当時の音楽シーンが拓郎の才能に魅かれ、強力な磁場が発生していたのでしょう。「Live’73」には時代の空気感が刻まれていて、様々な「波」が共鳴しているように聴こえてきます。それまでの拓郎のライブのスタッフやアルバムの構成とは違います。このライブの半年前、拓郎の逮捕で事実上の解散となった新六文銭では決して出せなかった音であり、空気なのでしょう。

Wikipediaで「Live’73」を検索すると、アルバムの選曲から漏れている曲を知ることができます。選曲の際に拓郎が採用した曲と外した曲を考えると、このアルバムをロック色(黒っぽい)で構成したかったという拓郎の「思い」が見えてくる気がします。

「Live’73」の凄さにはこの時期に拓郎自身の私生活が大揺れしていることも多分に影響しているでしょう。ひとつ前のスタジオアルバム「伽草子」の制作辺りからの混沌とした流れが尋常ではない。下記↓↓↓リンク先も是非お読みください。
吉田拓郎アルバム「伽草子」に刻まれた時代の空気
デビューから「伽草子」前後に至る激しい渦に巻き込まれていく当時の拓郎が才能を炸裂すさせ、アルバム全体に狂気が漂っています。周囲(国家権力・家族・音楽業界)と対峙している様子が、チャンピョンベルト獲りに戦っている最終ラウンドのボクサーの様で滅茶苦茶カッコいい。スポーツをやっている時にハイになり、無になるあの感覚。「あしたのジョー」や「スラムダンク」の最終巻のような、あの感覚。
「春だったね」「君去りし後」「君が好き」「こうき心'73」「晩餐」のロックスピリットは特に「Live’73」の素晴らしさの核だと思っています(敢えて「落陽」は別格として外しました。STONES的ROCKとはまた別物扱いという事で・・・)。
アレンジ、演奏が素晴らしい。瀬尾一三がストリングス、村岡健がホーンアレンジを担当したと考えられるのですが、高中正義らのバンドのアイデアに加えて、拓郎の指示も相当入っていることでしょう(このライブは2日連続であり、「望みを捨てろ」など、拓郎の指示によって1日目と2日目でアレンジが一晩で変えられているものがある)。

そして何と言っても当時の若々しい拓郎の危うく暴発しそうなボーカルが、暗闇の中を疾走しているようなドライブ感を醸し出しています。「君がすーきーだ」と歌った後に「あー」と叫ぶ(実際は「あー」でも「ぎゃー」でも「がー」でもなく、日本語でも英語でもない、しいて言えば「あ」の濁音w)辺りは、人間のどうしようもない根源的な感情が込められています。

天才を極めていた拓郎に、複数かつ多数の条件があの日あの場所で重なって、珠玉のアルバム「Live’73」は「降臨した」と言っていいでしょう。神々しい。神だ。

「こうき心」はデビューアルバム「青春の詩」ではフォーキーなアレンジで収められています。「Live’73」では、これを「こうき心'73」として見事なロックテイストに変換して演じています。「Live’73」は拓郎のキャリアの最高点(多分)「つま恋’75」に至る上り坂において最高の加速エネルギーを放ったアルバムだったと思います。


ロックでなくても

「Live’73」以降のアルバムでも様々なロックテイストの曲を作り、ライブでもロックアレンジで演奏してきた拓郎ですが、「Live’73」のようにSTONES的ROCKの高みにまでは届いていないと思います。特に、1974年のバックバンドのドラマー、浜田省吾には荷が重かった(笑)。いや、どれ程素晴らしいミュージシャンを集めようと、拓郎本人さえ「Live’73」を超えることは難しかったのだろうと思います。それはそれで仕方ないでしょう。拓郎には拓郎的音楽があるわけで、常時STONES的ROCKを期待することに意味はありません。

個人的にも拓郎がロックテイストを出そうとするのをそれほど好んでいるわけではありません。「この曲は何もそんなにラウドネスな演奏でなくてもいいのにな」と思うことも多々あります。そんなに拓郎にロックテイストを求める必要はないでしょう。多数の拓郎作品にみられる独特のメロウでメランコリックな部分を活かすには、必ずしもロック調の演奏が合っているわけではないと思います。拓郎作品にはワルツもボサノバもレゲエもあります。拓郎メロディーは日本情緒が強くて、しっとりとしたストリングス中心のアレンジの方がしっとりとして向いていると思います。2000年~2010年の間のライブの瀬尾さん率いるビッグバンドのストリングスアレンジはとても心地いいです。(そういう意味では、「LIVE73」でバックにストリングス隊&ブラス隊がいたことも凄いですね。)

ラストアルバムがどのような内容であるにしても、それ以降の本人によるパフォーマンスはあまり望まれないようです。今後、魂のこもったカバー、多様なアレンジによるカバーが生まれることを望んでいます。勿論、ロックテイストは大歓迎ですし、こんな↓↓↓感じのアプローチも、いい。拓郎自身もこのカバーには感心していました。
アン・ドゥ・トロワ / キャンディーズ【Cover - Kitri】from AL. 

いずれにせよ、吉田拓郎を「1970年代の引き語りフォークの人」という安易な位置づけにするのはやめて欲しいです。無理な枠組み(ジャンル)に押し込めるような評価はやめて欲しいです。「人間なんて」~「結婚しようよ」~「襟裳岬」~「1975年つま恋」という”雑でありがち”な語られ方は残念です(つま恋で終わりではないし!)。「Live’73」が日本のロックの金字塔であることを認めると同時に、フォークや歌謡曲やニューミュージックといった枠組みに囚われない「ミュージシャン吉田拓郎」が正当に評価されることを切に望んでいます。

下記↓↓↓の関連記事も是非、ご参照ください。

吉田拓郎「望みを捨てろ」の謎を追いかける
吉田拓郎「落陽」について

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2 件のコメント:

  1. すばらしい考察ですね。

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    1. Unknownさん、いえいえ、つたない個人的な感想です。

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