2018年11月5日月曜日

吉田拓郎アルバム「伽草子」に刻まれた時代の空気【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.4】

「伽草子」(1973)
CBSSONY第二弾アルバム。
吉田拓郎「望みを捨てろ」の謎を追いかける
にも書いているように、このアルバムの発売前後の拓郎周辺はたいへんあわただしい状況になっていました。あわただしいというより、怒涛の1973年だったのだろうと想像します。



性的なことを歌いつつ、さわやか

当時27歳で人気絶頂であった拓郎が、婦女暴行容疑で逮捕されたのち、無罪放免となる「金沢事件」。御存じなければググってみて下さい。

CBSソニーから発売された4枚の超名作アルバムの中では、一番地味かもしれないです。この後に発売された「LIVE73」が凄すぎて、霞んでしまいそうになるのは仕方ないものの、私はかなりこのアルバムが好きです。1970年代に出された拓郎の「天才炸裂」なアルバムの中で、比較的地味な「伽草子」と「大いなる人」が好きな私です。

#1「からっ風のブルース」でいきなり性的な歌詞「とても素敵だ 君 暗闇を探そう」が炸裂する本作。金沢事件の前に制作されたとはいえ、よくリリースができたものだと感心させられます。

5月23日  金沢事件(4/18の新六文銭ライブの後)により逮捕→ 逮捕によって新六文銭は事実上の解散
6月1日  アルバム「伽草子」発売
6月2日  不起訴となり釈放

という時系列を考えると、拓郎が拘置所からリリースされる前日にアルバムがリリースされたことになります。今の時代であれば、コンプライアンスがどうだこうだでぜったいソニーは発売禁止か延期の措置をとったと思います。いや、ソニーが止めなくても、親や妻がよく止めなかったなあと感心します。

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#1・2・3・7・10・11 の6曲に、セックスを想起させる部分があると思うんだけれど、どうでしょう(笑)。どれも拓郎本人作詞でないのもけっこう面白いです。レコード会社が「セックス路線」を推したんだろうか?
「抱きしめたことに理由などないんだ。僕に妻がいたとしても、抱きしめたかったとしか。」(#10「話してはいけない」)
と、詞は岡本おさみさんですが、当時の状況を考えると「拓郎ってそういう人なんだ」と思われても仕方ないですよね。発売当時は四角佳子さんと婚姻関係にあり、さらに四角さんは身重の体でした。あくまで「作品」であり、あくまで「無罪放免」ではあったものの、この自由奔放過ぎる拓郎に、近親者は何を思ったのでしょうね。

けっこう性的内容を想起させる歌詞が続くものの、ジャケットを含めてアルバム全体には「淡さ」「さわやかさ」が漂っているような気がします。のっけから、からっ風で「冬」なんだけど私のイメージは「春~夏」です。

#2「伽草子」が性的かどうかについては、議論が分かれると思います(笑)。名曲に勝手に性の息吹を吹き込むなとご本人及びコアなファンからは叱られそうです。
「君も少しは お酒を飲んだらいいさ」
と、静かな夜に女性を酔わせて
「君の絵本を 閉じてしまおう」(#2「伽草子」)
と、その状況は出来上がりつつあります。スプーンもお皿も耳を澄ましている静かな夜にメイクラブって、美しい。私は勝手に好意的な妄想をしています。
まあ、作詞は白石ありすさんだし、メロディーもアレンジも美しく、それほど肉感的なわけではありません。白石ありすさんは、「素敵なのは夜」(アルバム「ローリング30」(1978))でも詩を提供してくれていて、そちらもいくらか色香が漂う作品に思えます。拓郎の作品はどちらかというとゴツゴツしがちなので、作詞に女性陣が関わるのはいいことだと思いますが、CBSソニー時代を過ぎるとそれがあんまりなくなっちゃうので、残念です。
※最近では、「午後の天気」(2012)で銀色夏生が「この風」を提供しています。

セカンドシングル「青春の詩」(1971年)でも、拓郎は
「セックスを知り始めて 大人になったと 大喜びすること ああそれが青春」
けっこう、かなり、はっきりと「セックス」と口にしています。性的内容であったとしても、ストレートにものを言う(言ってしまう)拓郎の自由奔放さ。この性的表現路線は「176.5」(1990)ぐらいまで長きにわたり続きます。それ以降は一線を退いて桑田佳祐に王座を譲ったのかな。あるいは、鈴木保奈美の「東京ラブストーリー」(1991)での鈴木保奈美の「ねぇ、セックスしよう」に、敗北したのかもしれません。ちなみに「東京ラブストーリー」の原作者:柴門ふみさんは拓郎マニアなようです。

1.からっ風のブルース
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
2.伽草子
作詞:白石ありす・作曲:吉田拓郎
3.蒼い夏
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
4.風邪
作詞・作曲:吉田拓郎
5.長い雨の後に
作詞・作曲:吉田拓郎
6.春の風が吹いていたら
作詞・作曲:伊庭啓子
7.暑中見舞い
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
8.ビートルズが教えてくれた
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
9.制服
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
10.話してはいけない
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
11.夕立ち
作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎
12.新しい朝(あした)
作詞・作曲:吉田拓郎

#1は冬
#2・5は長い雨が降っているから初夏?
#3・7・11が夏
#6・9は春か

1970年代前半の空気

#12「新しい朝(あした)」は、不思議な魅力を放っています。拓郎らしからぬ歌詞が何とも言えない当時の状況を物語っているような気がします。「広場」にはコミュニケーションの場という意味も多分込められているのだと思います。全共闘的な香りも少ししているような、気もします。誰に向かって
「僕の肩をかそう 歩き疲れた君に」
と、言っているのか、よく分からない。誰と共闘していたつもりなのかな?拓郎がこんな言い回しをするのは珍しいかもしれません。
1972年の大みそかの「ゆく年くる年」のテーマ曲だったとか。それで、ちょっと若者への応援歌的になったのかもしれません。高度成長期の坂を上り切り、学生運動は敗北。しかし、どんよりした下り坂に入る前のどこか高揚感のあったあの時代の空気が、#12「新しい朝」には含まれているように思えます。
このアルバムはどちらかというと地味なのかもしれません。それでも、前作・名盤「元気です。」よりも、「伽草子」は当時の空気をトータル感を持って刻んでいます。アレンジの一貫性の影響もあるのでしょう。聴いているうちに1972~1973年のイメージが立ち上がってくるのが、不思議です。
中国との国交正常化でパンダがやってきて、「あしたのジョー」は完結に向かい、仮面ライダーはV3に。浅田美代子(2月14日)や山口百恵、桜田淳子がデビュー。美代ちゃんのデビューはまるで「LIVE73」以降に起こる私生活での大波(離婚~再婚)に対する伏線のようです。浅間山山荘事件にごきぶりホイホイ」が発売。ベトナム戦争は終結へ。
当時の拓郎は全共闘の敗北後の若者たちの気分を表していたとよく言われます。1973年10月からはオイルショックに襲われるのだけれど、1970年代前半は、一億総中流化(消費と諦念の時代?)へと向かう「まだまだ成長の時代」であったのではないかなあ・・・。アルバム「伽草子」には、拓郎の乱高下しながらも上昇していく天才的なポテンシャルエネルギーが詰まっているのでしょう。

新六文銭の演奏と1973年のライブ(リサイタル)

1973年の前半、拓郎が参加し、コンサートツアーまでしていた「新六文銭」というグループのメンバーが中心になっていることも、「伽草子」の特徴の一つです。
前年1972年のツアーは柳田ヒロが引き連れたグループがバックを務めていたようです。(以下、Wikipediaより参加ミュージシャンを引用

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1972年
柳田ヒロ:ピアノ/オルガン
高中正義:ギター
小原礼:ベース
チト河内:ドラム
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年が明けて1973年1月に結成された新六文銭のメンバー↓↓↓は、

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小室等(ギター・ボーカル)
柳田ヒロ(キーボード)
後藤次利(ベース)
チト河内(ドラムス)
吉田拓郎(リードギター・ボーカル)
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「伽草子」の参加ミュージシャン↓↓↓には

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Vocal:よしだたくろう・よしだけいこ
Piano, Organ:柳田ヒロ
Drums, Percussion:チト河内
E.Guitar, Ac.Guitar:矢島健
E.Bass:後藤次利
Ac.Guitar, Harmonica & Piano:吉田拓郎
Ac.Guitar:田口清
Brass Section:村岡建・羽島幸次・片岡照彦・鈴木正夫・鈴木武久・戸倉誠一・砂原俊三・中島系三・青木明
Arrange:吉田拓郎・柳田ヒロ・村岡建
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と、新六文銭と「伽草子」の主要メンバーがほぼ重なっています。

新六文銭から小室さんを抜いた「伽草子」のメンバーに、旧六文銭のオケイさん、つまり当時の拓郎の妻がゲストボーカルで加わっているという形になります。ついでに言うと、新六文銭が途絶えた後、27年を経て2000年から、「まるで六文銭のように」などと名前を変えながら後継ユニットとして活動を再開しています。ユニットには小室等とオケイさん、そして小室等の娘、こむろゆい(「ユイ音楽工房」の「ユイ」の由来です)がメンバーとして名を連ねています。

「伽草子」の制作期間は新六文銭の活動期間とかぶっているのでしょう。

「逮捕~釈放」という事件の後のツアーには「伽草子」のミュージシャン(柳田・河内・後藤)がバックだったみたいです。んー、じゃあE.Guitarは誰だったんだろう。

LIVE73のMCで語られる「魔の神田共立講堂」が釈放の翌日1973年6月3日と5日。これを皮切りに吉田拓郎リサイタルは1973/10/12 (金)大宮市民会館までの38本(https://www.livefans.jp/で確認)をこなしたようです。

でもでも、その後の1973年11月26・27日の中野サンプラザ(=LIVE73の録音)ではバックが一新されています。

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Vocal:吉田拓郎
Ac.Guitar, Banjo, Dobro, Flat Mandolin:石川鷹彦
Drums:田中清司
E.Bass:岡澤章
E.Guitar:高中正義・常富喜雄
E.Piano:栗林稔
Hammond Organ:松任谷正隆
Ac.Guitar:田口清・吉田拓郎
Percussions:内山修
Back Ground Vocals:ウィルビーズ
Brass Section:村岡建・羽島幸次・村田文治・佐野健一・新井英治
Strings Section:新音楽協会
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私にとって「新六文銭」は謎の多いバンド、「伽草子」は謎の多いレコーディングです。
「みねやの二階」という超絶当時に詳しい方のブログでは、「'73をめぐる冒険」
http://mushi646.blog.fc2.com/blog-category-31.html
として、当時のいきさつを記録して下さっていますが、これを見てみても、なんか、分からんですww

1973年11月26・27日の中野サンプラザの前後には新六文銭とのライブをやっているみたいで、加えて井上尭之バンドをバックにやったライブもあるみたいで。いったいどんなんやねんと不思議で仕方ないです。
拓郎逮捕の影響で新六文銭の活動が途絶えたというように聞いています。レコードを1枚も出せませんでした。

柳田ヒロは岡林信康とはっぴーえんどと吉田拓郎と水谷公生(≒浜田省吾)とオフコースをつなぐような位置にいて、すごく興味深いです。布施明(拓郎の宿敵!)とも組んでいる!
ぜひWikipediaで略歴をチェックしてみて下さい。


柳田ヒロ----つのだひろ(同じバンドでひろつながり)----つのだじろう(兄弟)とつながる。1973年、「恐怖新聞」が少年チャンピョンで連載開始。青虫の話がちょっとトラウマです(笑)。1973年って、自分は多分、小学4年生でアグネスチャンのファンだった。浅田美代子のデビュー年でもあり、この頃ってまだまだ(1980年代以降ののっぺりした空気に比べると)時代が動いていたような気がします。

1975年、「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」のバックを務めたトランザムのリーダーはチト河内であり、名盤サントラ「俺たちの勲章」でもガッツリ拓郎と組んでいます。バックミュージシャンの変遷も、拓郎の歴史を語る上で重要なポイントなのだろうと思います。もう、既に色々と伝承が難しくなっているのだと思うけど。

後から考えると、金沢事件が怪我の功名で、名作「LIVE73」を生み出したように思えます。
「抱きしめたかったから抱きしめた」
「伽草子」収録:「話してはいけない」(1973))
のち、金沢事件、のち、
「ちょいとマッチを擦りゃ燃えてしまいそうなそんな頼りない世の中」
「LIVE73」収録:「ひらひり」(1973))
に放り出された(どちらも作詞は岡本おさみだけれど)。LIVE73を貫く寂寥感と狂気と熱量に、金沢事件は大きく影響を与えていると思います。

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