2022年2月13日日曜日

吉田拓郎「いつも見ていたヒロシマ」 ~社会派ではない、というスタンツ

「僕は社会派ではない。」という想いがあったのか、このアルバムの発表後、岡本おさみとは距離を取るようになっています(「アジアの片隅で」:1980年)。ミュージシャンとして反戦歌を歌うことだけが反戦行動ではない??

拓郎は自分が社会の中で、どういった立ち位置でいればいいのかについて、デビュー当時からけっこう周到に考えていたように思います。おそらく、かなり政治的な考えをもっているのだろうと思えるのだけれど、政治的な発言は控えているように思えます。多分。


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「いつも見ていたヒロシマ」にしても、それほど激しく反戦を歌っているわけではなく、どちらかというと祈りを捧げているようなムードがあります。アルバムバージョンも好きですが、下のライブ動画は完成度が高くて素晴らしいです。間奏のテナーサックスが深く心に沁み込みます。


社会派フォークシンガーとは違った「POPな脱学生運動路線」で支持を得た1970年代。しかし、1980年代になると世の中に急激に軽薄化の波がやってきます。相対的に拓郎は「重い暗い田舎臭いオヤジ臭い」と受け止められるようになってしまったように思います。私の回りにいた当時の同世代の学生ファンは拓郎離れをしていきました。
こういう背景の中、社会派作品でコラボをしようとする岡本おさみから、拓郎は離れようとしたのでしょう。岡本おさみとのコンビは「アジアの片隅で」以降は「月夜のカヌー」(2003)まで、極端に少なくなります。


しかし、次のアルバム「無人島で」(1981)でも結局「重い暗い」ままだった。松本隆を起用↓↓↓しても、暗いww

「白い部屋」(1981 詩:松本隆)の全歌詞はこちらを参照


横須賀の暗い港に ミッドウェーが入る

疲れた顔の 若い兵士が

泣きながら 泣きながら

人は兄弟だと デモ隊に叫ぶ

だってそれは、7時のニュースだもの

君がテレビの チャンネルを回したら

通り過ぎる事さ

このモチーフは「晩餐」(1973)に通じますね。

1980年代は漫才ブームに続いてとんねるずの快進撃が続き、社会は一気に「軽チャ―」ムードに包まれます。夕食時、深刻なニュースに飽きて、チャンネルを回せば「ザ・漫才」をやっているのが現状でした。

そんな自分(を取り巻く状況)に拓郎(岡本おさみ)は苛立っていたのでは?


いつも見ていたヒロシマ

八月の光が オレを照らし

コンクリート・ジャングル 焼けつく暑さが

オレの心を いらつかせる

いやせない みたせない なぐさめもない

深い祈りと 深い悲しみ 渇いた心をかかえて


オレはどこへ行こう 君はどこへ行く


時はおし流す 幾千の悲しみを

時は苦しめる 幾千の想い出を

焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる


子供らに オレ達が与えるものはあるか

安らかに笑う家は いつまであるか

いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ※


八月の神が オレを見つめ

コンクリート・ジャングル 逆らう日々が

オレの心を いらだたせる

笑えない 落ち着けない 安らぎもない

唄う敵と 唄う真実 見えない心をいだいて


オレはどこへ行こう 君はどこへ行く


時は忘れ去る 幾千のごまかしを

時は汚してる 幾千のやさしさを

焼けつきた都市から 確かな愛が聞こえる




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