拓郎は狂っている
よしだたくろう・オン・ステージ「ともだち」(1971)の中に収録されている「私は狂っている」が、とてもとても好きです。「ともだち」はエリックレコードから公式に出された3枚のアルバムの2枚目で、ライブアルバムです。デビュー作「青春の詩」と出世作「人間なんて」に挟まれています。
11月1日 ファーストアルバム「青春の詩」発売
1971年
6月7日 アルバム「よしだたくろう・オン・ステージ ともだち」発売(録音は3月?)
7月21日 シングル「今日までそして明日から」発売
8月8日 第3回中津川フォークジャンボリーでの「人間なんて」の熱狂
8月11日~13日 後に発売される「よしだたくろう・オン・ステージ第二集」の録音
11月20日 アルバム「人間なんて」発売
ものすごい数のものすごいエネルギーを持った人たちとの関りを持っていただろうと考えると、クラクラしてきます。エリック社員・ともだち・マスコミ・音楽関係者。ファーストアルバム「青春の詩」にも狂気が秘められています。
「青春の詩」吉田拓郎の正直 ~デビューでいきなり●●●【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.0】
「人間なんて」では加藤和彦・松任谷正隆・小室等など、たくさんの才人を引き寄せています。凄い磁力です。
とにかくどストレートな拓郎さんです。広島でもなんだかんだあったという話が残されていますが(写真部退部事件とかw)、東京に出てきてさらにひと悶着もふた悶着もあったみたいです。拓郎本人が話している範囲のこともけっこう面白いけど、拓郎本人が「話さないことがある」とおっしゃるように、たくさん、いろいろあったんだろうな。
そしてさらに狂気の渦に巻き込まれてゆくような拓郎の1970年代を、「私は狂っている」は予告していたのではないかという気がします。怒涛の1970年代、常人ではない10年間です。音楽界との闘い、マスメディアとの闘い、私生活の混乱。
吉田拓郎アルバム「伽草子」に刻まれた時代の空気【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.4】
クレイジーなエネルギー
「何のために生きている」「お前はプロかアマチュアか」「お前は社会派か」「岡林信康をどう思う」
歌の中で、拓郎は「すると僕はこう答える 体裁つけて」と、背伸びをしている自分を客観視しています。ひと癖もふた癖もある人たちが自分の周りに集まってきて、何か言い寄ってくるのに対応するのはたいへんだったろうな。最後にたたみかけるように吐き出すこの部分が秀逸です。
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誰かが 誰かが 誰かが 誰かが
聞かれるたびに僕の答えは違ってる
私は 私は 私は狂っている
狂っているのに それでも答えてる
「私は狂っている」(1971)
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私には 私の生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこでどう変わってしまうか
そうです わからないまま生きている
明日からのそんな 私です
「今日までそして明日から」(1970)
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一時停車を試みてみたが 冷たい風は私の中を
狂気のごとくさ迷い歩き 果ててこの世を去ることのみ
変わる 変わる 目の前が
変わって それでおしまいさ
されど私の人生は されど私の人生は
「されど私の人生」(1971)
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天才と狂人は紙一重
新しいものを創り出したり、大きな流れを変えたりする人は、往々にして狂ったところがあります。「何だかわからんがー、進むぞゴラァ」という当時の拓郎が持っていたポテンシャルエネルギーの凄さがうかがえます。狂ってでもいなければ進めない道だったと思います。
強烈なひらめきと自己愛と自己嫌悪。巻き込まれる周囲の人も大変だったと思います。かまやつひろしがつま恋コンサート(2006)で、拓郎本人に「吉田さん、相変わらず、性格悪いねぇ」「でも好きよ」と笑いながらと話しかけています(あー、このシーン泣けるわ)。
マッドでもクレイジーでも、ドン・キホーテでも、流れを変えた拓郎は偉大だ。若輩者ながら、私もクレイジーでありたいと思ったし、今もそうでありたいと思っています。
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