2021年6月19日土曜日

吉田拓郎「結婚しようよ」におけるフラットな男女関係 【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.1】

1971年

最初に断っておきます。私は文化人類学者、その他の学者ではありません。以下に書くことはただの一般人の思い付きレベルの「吉田拓郎×結婚論」です。
吉田拓郎について語られる場合、一般的には最初のヒット曲「結婚しようよ」とレコード大賞受賞曲「襟裳岬」が取り上げられることが多いことはもう、仕方がないかと往年のファンである私は諦めています。


この2曲が素晴らしい曲であることは私も大いに同意します。一方で、この2曲ばかりに話題が振られてしまうので、もう少し他の曲にもスポットライトを浴びせて欲しいなあと思ってしまいます。とかいう事情はおいといて・・・ブツブツ。


「結婚しようよ」が世に出たのは1971年、その前年、世の中では1970年には見合い結婚と恋愛結婚の数が逆転しています。
閉鎖的な地域社会・農耕社会から脱出する自由がなかった時代は相当長く続いたようです。1960年代ぐらいまでは、婚姻の自由度はかなり低かったのではないかと思われます。村全体の姓が(例えば)「竹本」であるなど、運命共同体としての「せまい範囲でのほぼ身内・既知の間での結婚」が当たり前だったと聞いています。「結婚は本人同士がするのではなく、家と家がするものだ」などと、私の両親(昭和一桁世代)はよく言っていました。格差婚は避けられることが多く、「近所のお見合い叔母さん」に勧められた相手を受け入れることが無難な生活を続けるコツだったのかもしれません。


自由な結婚、フラットな男女関係

第二次産業や第三次産業の発展と共に都市部への人口流入が加速するとともに、日本的な男尊女卑社会の変革が求められてきます。そんな状況下で、「自由な人、吉田拓郎」が日本のポップシーンに出現します。

「男子、厨房に入るべからず」と言った価値観が支配的であった1971年の段階で、彼はこう歌います。

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僕の髪が 肩まで伸びで
君の髪と 同じになったら
約束通り 街の教会で 結婚しようよ
  「結婚しようよ」(1971)
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今の世の中から見れば、「普通じゃん」で片づけられそうな歌詞ですが、おそらく当時の地方の結婚観をひっくり返すような歌詞であったのだろうと思います。そもそも「男が髪を伸ばす」ことについては、小学生だった私でさえ違和感がありました。
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髪と髭を 伸ばして
ボロを着ることは 簡単だ
  「ビートルズが教えてくれた」(1973)
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当時の私たち小学生にとって髪を伸ばすなんてことは、仲間外れを覚悟せねばならないぐらいの危険行為でした。中学生に至っては男子は丸刈りがデフォルトであった時代です。
こんな時代に「君の髪と同じ」になるぐらいまで髪を伸ばした挙句に結婚って、自由過ぎます、素敵です。
しかも、「街の教会で」っていうのも、規格外です。明治の廃仏毀釈から太平洋戦争時代に至るまで神社が世の中を支配してきていて、まだこの時代はその余韻が残っていたのでは?花嫁衣装たるものはあくまで和装(白無垢とか角隠しとか)であり、洋装(ウェディングドレス)は「お色直し」としてのオプションであったと私は理解しています。
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白いチャペルが 見えたら
仲間を呼んで 花を貰おう
  「結婚しようよ」(1971)
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仲間を優先している感。「親は?親族は!この親不孝者めが!!」と、なってしまいそうな情景描写です。自由過ぎて、素敵です。実際、拓郎はこの年の6月に長野県軽井沢の「聖パウロ教会」で四角佳子さんと結婚式(一度目)を挙げました。
親戚家族・勤め先を巻き込み、しがらみの世界に巻き込まれる「儀式としての重い結婚観」をこういともたやすく軽いタッチでいてしまう拓郎選手に、当時の若者は拍手を送ったのだと思います。(※実際に親族を呼んだかどうかは知りません)
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二人で買った 緑のシャツを
僕のおうちの ベランダに並べて干そう
  「結婚しようよ」(1971)
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ちょっと待て、ベランダって何?(笑)
私の家(そこそこ都会)には「物干し」しかなかった。地方であれば洗濯物は庭干しだったのでは。多分、全国的にそうだったと思います。それを「ベランダ」って欧米か?
素敵すぎます。
※「物干し」には普通に平気に下着が干してあり、けっこう衆目に晒されていました。いや、男子としては平気ではなかったかも(笑)。
ベランダに干してあるのはもちろん下着ではなく、「緑のシャツ」です。素敵です。
「緑のシャツ」がTシャツなのかポロシャツなのか普通の前開きボタン付きのシャツなのか、イメージは固まらないです。当時は雑誌「POPEYE」(1976~)も「HotDog」(1979~)も発売されておらず、男子のオシャレなんてまだまだ下火。当時のファッションを考えるとあまり緑のシャツはクールなイメージにはならないです(笑)。あくまで、70年代初頭のファッション。それでも、「二人で買った緑のシャツ」なのです。女の子と2人でペアルック(死語?)を買いに出かけるという超オシャレな生活様式です。当時としては夢のような世界です。羨ましいです、軟弱です(笑)。
まだまだ、1970年の男子は角刈りで命を懸けて「柔道一直線」なのです。でなけりゃ、七三分けに黒縁眼鏡です。バンカラでなくっちゃ、まじめでなくっちゃ。


髪の毛を女性にあわせ、シャツを2人で買って、並べて干す。こうした「結婚しようよ」の世界観はフラットな新しい男女関係を示していると思います。当時、この世界観はとっても新鮮で斬新だったのではないかと想像します。ちゃぶ台返しという吉田拓郎選手の得意技です(笑)。
拓郎が幼少期に体が弱く(体育会系ではなく)、父親不在の女性の多い家庭で育った影響もあり、男尊女卑から少し遠い環境にいたことがこの曲の世界観に反映されているのではないかと思います。

完全にフラットなのか?

フラットな男女関係、自由な二人の世界。拓郎は「明るい自由な世界」にこだわり続けてきました。
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僕らは今も自由のままだ
  「AGEIN」(2014)
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自由を追い求めると、自分の自由を主張する分、他人の自由も守らなければなりません。
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みんな幸せになっていいんだ
人に迷惑さえかけなければね
  「ビートルズが教えてくれた」(1973)
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そういう意味では、家族(伴侶)である女性の自由を保障しない事には「自分の自由」は成り立たなくなってしまいます。「戦に行く代わりに男の我儘は許されるべきだ」という時代が終わり、「男が主な働き手であるのだから男の我儘は許されるべきだ」という時代も終わってゆきます。そこに、拓郎、そして昭和後期~令和の時代に至るまでの「戦後男子」の葛藤と苦悩が繰り広げられることになるのです。
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恋をするなど それこそ不自由で
仕組みやルールや 女のモラルなど
あければ勝ち誇った 女の素顔
あなたは いい人ね さようなら
  「わけわからず」(1978)
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と、拓郎殿、1970年代末にはだいぶ混乱の様相を示しています。「結婚しようよ」で提示した「フラットな男女関係」を「日常に於いて完成させること」は団塊世代である拓郎にとって、世代的な限界もあったのだろうと思います。四角佳子さん・浅田美代子さんとの結婚生活には「あくまでフラットな関係性」と「やっぱり亭主関白な様相」の両方が見え隠れしているように思います。

陽と陰・躁と鬱

拓郎は大学時代に応援団という男臭さの象徴の様な組織に属していました。どちらかというと喧嘩っ早い武闘派ミュージシャンというイメージで語られることが多かったです。
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拓郎って酔うと陽気になるんだねって
君に教えられたよ
そう言えば 君はいくつだったっけ
僕のイメージってそうらしいよ 女の子の間では
陰気で怖いんだってさ
  「Y」(1981)
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誰も皆、二面性を持っていると思います。拓郎はかなり多面的です。
「結婚しようよ」は拓郎独特の「躁状態」を表す曲で、どちらかというと少数派です(他には「たくろうちゃん」(1971)「あの娘といい気分」(1980)とか?)。
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もうすぐ春が ペンキを肩に
お花畑の中を 散歩に来るよ
  「結婚しようよ」(1971)
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「結婚しようよ」のようにメランコリックな要素(哀愁感)がほぼない拓郎の曲は珍しいのでは?
浅田美代子との結婚生活を歌ったと言われる「カンパリソーダとフライドポテト」(1977)は美代ちゃんが怒るほど、哀愁に満ちています。

どちらかというと拓郎の作品には鬱・哀愁が含まれている場合が多いと思います。なので、「結婚しようよ」が代表曲として取り扱われ続けることはちょっと違うかなと言うのが往年のファンとしての私の気持ちです。「結婚しようよ」は拓郎作品群に於いて最初のスマッシュヒットでしかなく、その後、怒涛の実生活と実生活を反映した作品が続きます。「お花畑の中を散歩」が時には「イバラの道を蹴散らかし」みたいな様相になることもたびたびありました。拓郎の恋愛観・結婚観・性愛観は時代の変化とともにあり、団塊以降の世代が抱えてきた悩ましさを表すある種のサンプルになっているように思います。
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あければ勝ち誇った 女の素顔
  「わけわからず」(1978)
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男性の育児休業取得を促進するために提案された改正育児・介護休業法などが令和3年6月3日、衆議院本会議で可決され、成立しました。令和3年のドラマ「リコカツ」は地味ながら支持を得ています。
「結婚しようよ」から50年、令和の時代となった今、「男女共同参画社会」の実現はそこそこ果たされたのか、まだまだ道半ばなのか・・・

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