2019年8月13日火曜日

吉田拓郎【LIVE73y感想-10-今夜も愛をこの胸に】

2019年の(拓郎自身作詞による)(拓郎最後の)コンサートの最後の曲となったのは、「今夜も君をこの胸に」でした。

「君」が愛子さんをさしているのは間違いないでしょう。アルバム「マラソン」とその次の「情熱」に収録されている曲には、拓郎の(愛子さんへの)気持ちが動いていることがよく表れていて興味深いです。 「今夜も君をこの胸に」と「I'm In Love」のセレクトは、このライブが「for愛子」であった事を示しているのではないでしょうか?
 同時に、このコンサートはCBS時代とフォーライフ初期の曲を回避した選曲になっています。つまり、おけいさんと美代ちゃんとの想い出をスルーしているように私は感じています。

 二度の大病を経て、自分に寄り添ってくれた伴侶への深い感謝の想いと愛情に拓郎が満たされているのなら、それはファンとして嬉しい限りです。 「今夜も君をこの胸に」は、当時も今も、超個人的な愛子さんへの想いで歌っているのでしょう。「マラソン」から数えれば、すでに36年が経過していることになります。寄り添ってきた長い時間が、夫婦の愛情を育くんできていることを、この選曲は表しているのでしょう。

一方で、「君」の中には会場のファン、会場に来れなかったファンも含まれているのだろうな、と、勝手に想像しています。

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付け加えて、勝手な思い込みかもしれないですが・・・

名曲の歌詞における「君(への愛)」は、たとえそれが作詞者の超個人的な恋愛対象のことを示していたとしても、広い意味での「君(≒他者)」に置き換えられるような気がします。(拓郎の「君が好き」やモンゴル800の「あなたに」なんかを聞いていると時々そんな気になります)

小田和正も
あー、僕の回りの すべての愛が あなたから始まる
「あなたよりたいせつなこと」(1980)

と、歌っています。

去って行った友達、世界の終わりに一緒に死ねるあなた、とにかく大っ嫌いな奴、負けてなるものかと思っているあんな奴、許しを請いたい相手、送ってしまったあなた、裏切られた誰か、しがみついた誰か、不確かに寝た相手、さよならも言えなかった恋人、今夜も抱きしめたい愛人、情けをなくした奴、そこどいてほしい奴・・・そんなあんなこんな「君(≒他者)」がいる。
そして、妻である愛子さん(=君≒他者)。恋愛感情はたいへん個人的で閉鎖的でエゴイスティックなものであると思います。単にエロい欲望を思い過して恋愛と思っている場合もあるかもしれないです。でも、同時に、血も繋がっていない他者を受け入れる入口・出発点でもあります。「僕には優しさなど(若くて)分からない」と歌われていますが、あの時、胸に感じた温もりが、歳月を経て大きく広い愛へと成長してゆく・・・。
Live73yラストの「今夜も君をこの胸に」に、「他者」への大きな愛を感じているのは、私だけ? 

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勝手に意味づけしてんじゃネエよ!そんなこと考えて歌ったんじゃねえよ!」 って、御大には叱られるかも、でしょうねww


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