「愛」が多用されている
最後のアルバムと言われている「ah-面白かった」には、作者本人のライナーノートが付いており、各作品の情報がそこそこわかるようになっています。逆に、ライナーノートがなければ、何について書かれているのか、コアなファン以外は分からないのではないかと思ってしまいます。
まー、考えてみると言っても、拓郎の歌詞は難解でそんなに簡単ではありません(分かりすぎる歌詞も多いけど)。ライナーノーツに書かれていることと、オールナイトニッポンゴールドで本人が語ったことと、今までの歴史を振り返り、考えてみました。あくまで私見であり、見当はずれな部分もあるだろうし、憶測しすぎなところもあると思います。思い直すところがあれば書き換えていく予定です。
アルバム「ah-面白かった」で特徴的なのは、「愛」という言葉を今までになく多用しているところだと思います。
以下6曲で歌詞の中に「愛」が含まれます。
「ショルダーバッグの秘密」「君のdestination」「アウトロ」「ひとりgo to」「Together」「ah-面白かった」
全9曲中で「愛」が含まれていないのはたった3曲。
「Contrast」 「雨の中で歌った」「雪さよなら」
「愛」という言葉は使っていないものの、
「雨の中で歌った」「雪さよなら」
が、過去の女(ひとw)について歌っています。この二人に対しては、出会ってきた人たちの中(愛したことがある人の中)で、対立を生まなかった二人なのかなと考えています。
また、「Contrast」は、”愛なき世界”と”愛ある世界(一本の道≒音楽のある道)”のコントラスト(明暗)の事ではないかとも思っています。
付録のDVDの最後でも、拓郎は愛について語っています。
港々の女
そもそも、「ah-面白かった」には母と義母を除けば、女性が歌のテーマとなっている曲は「雨の中で歌った」「雪さよなら」の2曲だけです。この2曲は過去の女性を歌ったようです。「雨の中で歌った」はライナーノートで「たえこMYLOVE」(1979)のモデルになった女性だと書いているし、「雪さよなら」は、岩手放送局のスタッフの女性と書いてあります。
おそらく、港々にいい感じの女性がいたのでしょう。若いころの拓郎はモテモテだっただろうから。・・・そりゃ、面白かったことでしょう(笑)。
多くの女性(モデル)の中でこの2人を選んで、曲順もわざわざ続きにしたのです。2曲も昔の女のことを綴ったのは、2人が印象深かったのでしょうね。あちこちの港の女を全部のっけるわけにもいかないから、特に印象深い(情を残している)2人をセレクトしたのかもしれません。
愛子(現)婦人をもろに歌ったと思われる曲は見当たりません。このアルバムに散りばめられた「愛」というワードの中のどれかは愛子夫人の事なのかもしれないけれど。
そう考えると、”ah-面白かった”の「愛はこの世にありました」の愛は、愛子夫人と育み貫いた愛ではないかと思うのは私だけ?
「雨の中で歌った」について
「たえこMYLOVE」は発売日は1976年12月5日です。このたえこと言う女性との件は、オケイさんか美代ちゃんのどちらかの伴侶の政権の下での話だったのだろうと思います。「君を追って、雲の上に僕も旅立つよ」とか歌っていましたど、伴侶にしてみれば身勝手この上ないですよね(笑)。バーで出会ったたえこさんの「自殺願望に付き合いたい」と言っているわけですから、伴侶にすれば「じゃあ、私はどうなるのよ」って話です。当時、私は中学生だったけど、「何言ってんだ拓郎??」と思っていました。
それをまた45年をへてこのアルバムで完結編を発表しています。「たえこMYLOVE」で(たえこに)「思い出なんかにしないよ」と歌ったとおりに完結編の作成を実行したんだろうでしょうか。(「たえこMYLOVE」で(たえこに)「馬鹿な人ね、あんたって男」って言われたとおりに、拓郎って馬鹿な男(ひと)だわ。いやいや、大好きなんですけどね。俺が愛した馬鹿な拓郎です(笑)。
で、ラストアルバムに収録された「雨の中で歌った」には、次のような一説があります。
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少し雨が止んだら もう一度 この道を走りたい
君と二人笑いながら 走ったように
もうすぐ雨が止んだら表参道 歩いてみようか
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走るんか、歩くんか、どっちやねん(笑)。そうか拓郎、もう走れないのかな。歩こうね。
おそらくこの頃の拓郎は夜の街を愛していて、ふらふらしていたのだと思います。このころの曲には当時の原宿~六本木の空気があふれています(いや、当時私は地方都市の中学生だったから知らんけど)。「三軒目の店ごと」「たえこMYLOVE」「風の街」「午前0時の街」「あの娘に会えたら」「乱行」「街へ」など、街の夜のムードがとってもいいです(「風の街」は昼か)。そりゃあ、aaaaaa-h、面白かったことでしょう。
「雪さよなら」について
「雨の中で歌った」が「たえこMYLOVE」の続編であるように、「雪」(1970)に一連を書き加える形で完結編としたとのことです。わざわざセルフカバーするというのは、けっこうな思い入れがあったのでしょう。この雪の夜は岩手放送局のスタッフの女の人とのことを歌っているそうなのだけれど、拓郎本人は詳細は覚えてはいないようです。それでも、この女の人のことを強く印象に残っているようです。ライナーノートでは、「二人きりになって午前0時を回っていた」と書かれているので、「そんな関係」になったのかもしれません。
今回、付け加えられた歌詞の中に、
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さよならを言い忘れてた
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と、あります。この「さよなら」は、岩手の女(ひと)に宛てているようで、もう会うこともない港々の女(笑)に対するメッセージも含まれているのかもしれません。さらに、もうコンサートでも会いに行くことはないというパンピー女性に対するメッセージも含まれているといいですね。
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いつかまた あなたの街へ
僕の旅が続く夢を見る
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と、わざわざ「旅」と表現しているのだから、「僕の心(夢)の中で、あなたたちとの愛は続いているよ」という心優しい(?)拓郎のメッセージなのかもです。
「雨の中で歌った」が都心の人たちへのメッセージ、「雪さよなら」は地方の人たちへのメッセージだったりして。
これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛、半ば愛、ちょっと愛ww
監修:森下愛子?
さて、このアルバムはコロナ禍の時期に作られており、自宅で作曲や編曲・演奏をかなりした模様です。自宅ではもちろん、愛子夫人とともに引きこもっていたはずですから、愛子夫人の意向をくんでいる面もあるはずです。何しろ最後の「ah-面白かった」は愛子さんに深く関わっている曲なのですから。クレジットに「監修:森下愛子」を加えてもいいのではないかと思えます。
そうすると、「雨の中で歌った」「雪さよなら」という昔の人の歌を愛子さんがなぜ許したのかという謎も出てきます。アルバム「マッチベター」以降の男女を描いた作品には、アルバム「俺が愛した馬鹿」以前の生々しい実況中継のような恋愛(伴侶や伴侶以外との女性との恋愛)を描いている感じがあります。「マッチベター」以降のアルバムには、「監修:森下愛子」とまでは言わなくても、愛子さんの影響があるような気がします。3度目の結婚以降の拓郎は作品作りの際に、愛子さんを慮ってたのかもしれないです(「夕映え」とか)。
浮気現場をフライデーに撮られた際も、
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ごめんね軽率に 躓いて
「トワイライト」(2000年)
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と、曲の中で謝罪させられていますw
もしかすると今回、「雨の中で歌った」「雪さよなら」をアルバムに挿入するにあたって、何らかのご意向を愛子さんに伺っていた可能性があるのではないでしょうか。「雨の中で歌った」「雪さよなら」は、「そんな関係がなかった女性の曲を選んだ結果」であるかもです。
女心なんて私にはまるでわからんのですが、何人かの女性から、「肉体的な浮気より、本気(心からの浮気)の方がつらい」と、聞いたことがあります。50年も心に残していた原宿の「たえこ」や岩手の女(ひと)を愛子さんは許したんでしょうか。愛子さんを含めた1000人ぐらいにインタビューしてみたいです。「伴侶がいながら他の女のことを歌うってどうよ?」
「Ah-面白かった」について
ラストアルバムのラストに位置するこの曲は、拓郎の発表した曲の中で、(曲順としては)ラストを飾ることになる曲になりました。愛に溺れたり、躓いたり、長い音楽人生の果てにたどり着いた「静」な愛子さんとの日常への肯定なのでしょう。
コアなファンではない人がライナーノートを見ることなくこの曲を聴けば、「わざわざラストにこの曲を持ってくるって、拓郎さんって、お母さん思いなんだなあ」と思ってしまうかもしれません。実母と義母(愛子さんの母)の2人とのことを描いていることも、分からないかもしれないです。
「ah-面白かった」が、愛子さんが出演したドラマ『ごめんね青春!』(TBS系)の中での臨終シーンでつぶやいた「ああ、面白かった」というせりふから引用されたものであることも、「オールナイトニッポン」を聴いていたコアなファンしか知らないでしょうねえ・・・。
じゃあ、本当にこの2人(と、その娘である愛子さん)にささげた曲なのかというと、そうでもないと思っています。拓郎自身がオールナイトニッポンで、この曲について以下のように語っています。
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アルバムのラストの運命の一曲となる。歌っていていろんな思いが浮かんだ、母親たちのこと、妻のこと、自分のこと、心こめて応援してくた小田和正、Kinkikids、篠原ともえ、奈緒さん、わがまま気分屋の僕を支えてくれた竹林くん、飯田さん、何回もダメ出ししてもめげないで魂の演奏にトライしてくれた武部・鳥山くんらの顔が浮かんだ。ボーカルが揺れているような気がする。でも修正しない、歌い直さない、ありのままでいこうと決心した。 (© t.y life All rights reserved.より)
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アルバムに散りばめられた「愛」というワードはここで収束しているのだろうと思います。男女や親子の愛だけにとどまらず、
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愛はこの世にありました
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と、愛を肯定しています。
「ひとりgoto」でも
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時を抱きしめ つらぬく愛は
そこにあったと 伝えてよ
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と歌っています。
「つらぬいた愛」は愛子さんと育んだ愛という意味合いは強いのでしょう。
そして、最も大切な伴侶に向ける愛は、上記のオールナイトニッポンでの拓郎の言葉の中に挙げられている人々への愛にもつながっているのだろうと思います。そしてそして、そこに挙がっていない人々やオーディエンス、いや、もっと広い人々への愛も含まれているかもしれません。
拓郎はラストライブ「Live73y」でも、ラストの曲として愛子さんとの逢瀬を描いた「今夜も君をこの胸に」を歌いました。これもまた、愛子さんへの愛に乗じて、オーディエンスたちに対する広い愛情についても語りかけてくれたのだと勝手に思っています。
拓郎が引退に際したこのアルバムの中に「愛」というワードを多用し、それを肯定しているような気がします。毒舌を吐きながらも、「一人だ、一人だ、人は一人だ」とか、「人間なんて」とか言いながらも、その時々に形を変えながらも人を愛してきたのではないのかと。
#2:君のdestination #4:アウトロ # 5:ひとりgo to
なんかも、同年代はもとより、若い世代へのエールなのではないかと思っています。
長年のファンとして、「よかったなぁ、拓郎。おつかれなま。」と言ってあげたい気持ちです。