吉田拓郎とジェンダー
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男と女の関係は 誰も知らない分からない
「男と女の関係は」(1983)
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成人して東京に出てゆくまでの間、女性に囲まれて育った広島時代が拓郎に与えた影響は多大だったことでしょう。拓郎の多面的で複雑な女性観はこうした状況によって醸成された部分はあるでしょう。----------------
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女性と一緒にいることが幸せそうですね。一方で
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「我がよき友よ」(1975)
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と、男らしさへの拘りも強いです。学生時代は応援団に所属していたこともあったそうです。おそらく、男らしさを求めていたのでしょう。令和の世となり、ジェンダーフリーはさらに浸透してきました。「男(女)なら」「女(男)らしい」などの言葉さえ存立の危機です。私も昭和男子の端くれなので、男女の性差を無視したような話はちょっと違うような気がするのですが・・・。
硬派のようでもあり、軟派のようでもある拓郎。かなり捻じれてはぐれたけれど、令和まで生きてきたね、拓郎さん。
吉田拓郎は女性に対してどのような呼称を使用してきたか
「吉田拓郎が女性についてどのような呼称を使用してきたのか」という観点で少し考えてみました。恋愛感情がある相手をどう呼ぶかは2人の距離を測るためにも、けっこう重要なポイントだと思います。歌詞の中での呼称の変遷について全歌詞検索でもしてみたいものだけれど、全歌詞をデジタルのテキストで持っているわけでもありません。従って、以下は私の記憶と推測に基づくことも多い内容になることをお許しください。間違いがあったらご指摘ください。
拓郎本人作詞ではないですが、けっこう面白いのが風見慎吾に提供した曲「僕、笑っちゃいます」(1983)の、こんなフレーズです。
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夏になったら 砂浜で
君を「おまえ」って 呼びたかったよ
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歌詞の雰囲気や設定・語呂合わせ・リズム感など、どの呼称を使用するかはおそらく拓郎も作詞家もそれなりに考えているのだと思います。もう少し詳しく見ていくと…
【君】
<一般的に>相手を大事にしているという表現かな。フラットなムードです。下手に出る事情がある場合に使う。社会人にしてみれば、「君」は格下の相手に使う呼称ですね。
<拓郎的に>下手に出る事情がある場合に使っている気がします(笑)。割と初期から基本的に「君」が多いように思います。ある意味、さわやか。ちなみに、男性に対しても「君」は多用されている。
<例>デビュー曲「イメージの詩」「マークⅡ」(1970)・「結婚しようよ」(1972)「君が好き」(1973)・「シンシア」(1974)・「今は恋とは言わない」(2009)
<一般的に>貴方や貴女と書くらしい。かなり大切な相手を呼んでいる感じ。あがめているのかもしれない。女性に「あなた」と呼ばれたい男は多いかもしれない。しかし、男性が女性を「あなた」と呼ぶのはかなり親密か、もしくは距離があるかのどちらかの気がする。
<拓郎的に>憧れがあるかも。稀な気がするし本人作詞で女性に対して「あなた」はなかったかも。「あなたを愛して」「外は白い雪の夜」など、女性を主人公として男性によびかけるものは、ある。
<例>「恋唄」(1978)しか思い浮かばないのだけれど・・・作詞は松本隆
【お前】
<一般的に>昭和はまだまだ男尊女卑傾向が強く、女性に対して「お前」と呼ぶことにそれほど違和感はなかったと思います。歌詞、特に演歌系の歌詞には多用されていたと思います。場合によっては親しみを込めて、近さを表現する時にも「お前」を使っていたかもしれません。女性も「お前」と呼ばれる事には所属感があって嬉しかったのではないかと想像しています。私自身、お前と呼び合える親しい仲は歓迎していたけれど。平成も後半になるともう、女性に使うには死語に近いのかもしれないです。かなりのイケメンが上から目線で「お前」と言った時には「キャーキャー」となりますが、そうでない場合は悪い意味で「キャー!!」とドン引きになりそうで使いづらい(笑)。職務上、かなり上位の男性が言ってもドン引きされるセクハラワードになってしまった感があります。
<拓郎的に>ちょっとグイグイ行きたい女性に対して使っていたように思います。または近い相手。1980年代前半にはけっこう使っています。その他の時期は、作品の上では、あまり「お前」を使わず、「君」を多用していたのではないかと記憶しています。その方がフラットで爽やかだからね。拓郎は割と女性に対して紳士的な態度をとる一方で、マッチョな態度に出るところもあるように思います。
<例>アルバム「俺が愛した馬鹿」(1985)ではかなり強めに「お前のような馬鹿」と綴っています。
吉田拓郎「俺が愛した馬鹿」って、誰がアホやねん!~「風になりたい」の「私」は誰でしょうを参照。
他にも、
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目を覚ませよ お前との愛は
午前3時に もう終わってるのさ
「すいーと るーむ ばらっど」(1983)
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すさんだ心を なぐさめてくれ
「お前が欲しいだけ」(1983)
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この時期(1980年代前半)の拓郎作品には、情緒不安定が呼称にも表れているような気がします。
フラットな関係への回帰
拓郎の一般社会でのブレイクは「結婚しようよ」で間違いないと思います。
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君の髪と 同じになったら
約束通り 町の教会で
結婚しようよ
「結婚しようよ」(1970)
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吉田拓郎「結婚しようよ」におけるフラットな男女関係 【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.1】
そこが出発点だったのだろうし、拓郎の基本的な立ち位置だったのではないかと思います。1980年代には少々マッチョになり、荒み気味だった時期もありました。それは昭和男子と昭和女子の中にあった性差であり、お互いが背負ってきた性役割だったのかもしれません。しかし、コンサート撤退(2019)前後のラジオで、森下愛子との静かな日々について拓郎はよく夫婦関係の変化について語っています。ドラマ撮影による妻不在の生活の話を語る拓郎はちょっと可笑しいです。「気分は未亡人」(1984)の逆の立場みたいです。「夫婦の姓が入れ替わり、自分が女性化している」といった内容の内容の発言もありました。拓郎は笑いながら愛子夫人と築いてきた親密な関係を話してくれます。夫婦という形が昇華された後の、人間としての関係性。激動の時代を経て、拓郎夫婦に安息の日々があることに長年のファンとしての喜びがあります。
ラストコンサートのアンコール(ラスト)で歌われた「今夜も君をこの胸に」。いつも雨降りだった拓郎も、雨上がりの陽だまりのような心境にたどり着いたんじゃないかな・・・そんな気がします。
吉田拓郎【LIVE73y感想-10-今夜も愛をこの胸に】
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