2022年3月5日土曜日

吉田拓郎と男と女の関係は ~女性は「君」「お前」「あなた」「女」【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.7】

吉田拓郎とジェンダー

「戦前の夫唱婦随」から「戦後の男女平等」、「1970年当初のウーマンリブ運動の時期」、「セクハラ&パワハラ断罪の令和の時代」まで、男女の関係の在り方は、大きく変わりました。「吉田拓郎とジェンダー(フリー)」を語ってみるのはけっこうおもしろいと思います。
一応、男女の平等がはっきりと憲法に定められたのが1947年だから、拓郎(1946年生まれ)が属する団塊世代は「男女平等ネイティブ」という事になります。とはいうものの、憲法で男女平等が謳われていても、昭和はまだまだ男尊女卑が残っていました。「強権的な父親」「男尊女卑の強い鹿児島生まれ」「戦後の政治的混乱があった広島育ち」「両親の別居に伴う女性ばかりの家族生活」「体が弱かったことによる男性社会からの脱落」という拓郎の青年期までの環境。また、その後も「体が弱かったことを克服したことによるマッチョ志向」「本質的に女好き」「音楽業界的での女遊びの慣習」「繰り返された出会いと別れ」「病魔との闘い」「老齢になり女性化」などの様々な要因が絡み合い、「男・吉田拓郎」の
ジェンダー観(≒男性観・女性観)も大きく変化しているようです。有為転変、世の不確かさについて歌ってきた拓郎氏、男女関係についても、下記のように歌っています。

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男と女の関係は 誰も知らない分からない

   「男と女の関係は」(1983)

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成人して東京に出てゆくまでの間、女性に囲まれて育った広島時代が拓郎に与えた影響は多大だったことでしょう。拓郎の多面的で複雑な女性観はこうした状況によって醸成された部分はあるでしょう。

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顔なじみのお酒好きで女好きな
愛を振りまいて のし歩く
憧れの君
今夜はどの娘の 腰に手をまわし
浮かれて踊る
楽しきかな今宵 夜が回ってる
   午前0時の街(1976)

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女性と一緒にいることが幸せそうですね。一方で

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古き時代と人が言う 今も昔と俺は言う
バンカラなどと口走る 古き言葉と悔やみつつ

   「我がよき友よ」(1975)

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と、男らしさへの拘りも強いです。学生時代は応援団に所属していたこともあったそうです。おそらく、男らしさを求めていたのでしょう。令和の世となり、ジェンダーフリーはさらに浸透してきました。「男(女)なら」「女(男)らしい」などの言葉さえ存立の危機です。私も昭和男子の端くれなので、男女の性差を無視したような話はちょっと違うような気がするのですが・・・。

硬派のようでもあり、軟派のようでもある拓郎。かなり捻じれてはぐれたけれど、令和まで生きてきたね、拓郎さん。


吉田拓郎は女性に対してどのような呼称を使用してきたか

「吉田拓郎が女性についてどのような呼称を使用してきたのか」という観点で少し考えてみました。恋愛感情がある相手をどう呼ぶかは2人の距離を測るためにも、けっこう重要なポイントだと思います。歌詞の中での呼称の変遷について全歌詞検索でもしてみたいものだけれど、全歌詞をデジタルのテキストで持っているわけでもありません。従って、以下は私の記憶と推測に基づくことも多い内容になることをお許しください。間違いがあったらご指摘ください。

拓郎本人作詞ではないですが、けっこう面白いのが風見慎吾に提供した曲「僕、笑っちゃいます」(1983)の、こんなフレーズです。

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夏になったら 砂浜で

君を「おまえ」って 呼びたかったよ

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作詞は「欽ちゃんバンド+森雪之丞」となっています。若い男の子のその気持ち、昭和世代にはなんだか分かる気がして笑っちゃいますね(笑)。この部分を除けばあとは全部「君」で統一されています。ちなみにこの曲とアルバム「176.5」(1990)だけで森雪之丞とはコンビを組んでいます。ちなみに「176.5」で共作した5曲はいずれも「君」でした。


歌詞の雰囲気や設定・語呂合わせ・リズム感など、どの呼称を使用するかはおそらく拓郎も作詞家もそれなりに考えているのだと思います。もう少し詳しく見ていくと…

【君】
<一般的に>相手を大事にしているという表現かな。フラットなムードです。下手に出る事情がある場合に使う。社会人にしてみれば、「君」は格下の相手に使う呼称ですね。
<拓郎的に>下手に出る事情がある場合に使っている気がします(笑)。割と初期から基本的に「君」が多いように思います。ある意味、さわやか。ちなみに、男性に対しても「君」は多用されている。
<例>デビュー曲「イメージの詩」「マークⅡ」(1970)・「結婚しようよ」(1972)「君が好き」(1973)・「シンシア」(1974)・「今は恋とは言わない」(2009)

【あなた】

<一般的に>貴方や貴女と書くらしい。かなり大切な相手を呼んでいる感じ。あがめているのかもしれない。女性に「あなた」と呼ばれたい男は多いかもしれない。しかし、男性が女性を「あなた」と呼ぶのはかなり親密か、もしくは距離があるかのどちらかの気がする。
<拓郎的に>憧れがあるかも。稀な気がするし本人作詞で女性に対して「あなた」はなかったかも。「あなたを愛して」「外は白い雪の夜」など、女性を主人公として男性によびかけるものは、ある。
<例>「恋唄」(1978)しか思い浮かばないのだけれど・・・作詞は松本隆

【お前】

<一般的に>昭和はまだまだ男尊女卑傾向が強く、女性に対して「お前」と呼ぶことにそれほど違和感はなかったと思います。歌詞、特に演歌系の歌詞には多用されていたと思います。場合によっては親しみを込めて、近さを表現する時にも「お前」を使っていたかもしれません。女性も「お前」と呼ばれる事には所属感があって嬉しかったのではないかと想像しています。私自身、お前と呼び合える親しい仲は歓迎していたけれど。平成も後半になるともう、女性に使うには死語に近いのかもしれないです。かなりのイケメンが上から目線で「お前」と言った時には「キャーキャー」となりますが、そうでない場合は悪い意味で「キャー!!」とドン引きになりそうで使いづらい(笑)。職務上、かなり上位の男性が言ってもドン引きされるセクハラワードになってしまった感があります。

<拓郎的に>ちょっとグイグイ行きたい女性に対して使っていたように思います。または近い相手。1980年代前半にはけっこう使っています。その他の時期は、作品の上では、あまり「お前」を使わず、「君」を多用していたのではないかと記憶しています。その方がフラットで爽やかだからね。拓郎は割と女性に対して紳士的な態度をとる一方で、マッチョな態度に出るところもあるように思います。

<例>アルバム「俺が愛した馬鹿」(1985)ではかなり強めに「お前のような馬鹿」と綴っています。

吉田拓郎「俺が愛した馬鹿」って、誰がアホやねん!~「風になりたい」の「私」は誰でしょうを参照。

他にも、

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ベッドの横に ゆうべの女

目を覚ませよ お前との愛は

午前3時に もう終わってるのさ

 「すいーと るーむ ばらっど」(1983)

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荒んでいます。女性を性欲のはけ口として見ています。令和時代でこれを歌うのはかなりやばいな(笑)。

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お前の体を 抱きしめていたい

すさんだ心を なぐさめてくれ

   「お前が欲しいだけ」(1983)

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お言葉通り、かなり荒んでいますね。

これらの「男と女の関係は」「チェックインブルース」(1983)「抱きたい」(1985)など、森下愛子との結婚に至る過程で出来たと思われる曲には「お前」が使われていることが多いようです。
一方で森下愛子さんとの逢瀬を想起させる「今夜も君をこの胸に」(1983)にはロマンが溢れていて、「君」を使っています。「I'm in love」(1983)では、

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このまま世界の終わりが来てもかまわない
君と一緒に死んでいけるならすべてを許そう

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とまで歌っています。当時、私はまだ学生だったので、「いやいや、勝手に世界を終わらせないでくれよ。」と思いましたが(笑)、かなりもう、愛子さんにメロメロだったんですよね。

この時期(1980年代前半)の拓郎作品には、情緒不安定が呼称にも表れているような気がします。

フラットな関係への回帰

拓郎の一般社会でのブレイクは「結婚しようよ」で間違いないと思います。

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僕の髪が 肩まで伸びて
君の髪と 同じになったら
約束通り 町の教会で
結婚しようよ

   「結婚しようよ」(1970)

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という男女のフラットな関係性を歌った歌詞は、当時の社会においてはけっこう衝撃的だったと聞いています。

吉田拓郎「結婚しようよ」におけるフラットな男女関係 【恋愛と婚姻と性愛と拓郎 vol.1】
そこが出発点だったのだろうし、拓郎の基本的な立ち位置だったのではないかと思います。1980年代には少々マッチョになり、荒み気味だった時期もありました。それは昭和男子と昭和女子の中にあった性差であり、お互いが背負ってきた性役割だったのかもしれません。しかし、コンサート撤退(2019)前後のラジオで、森下愛子との静かな日々について拓郎はよく夫婦関係の変化について語っています。ドラマ撮影による妻不在の生活の話を語る拓郎はちょっと可笑しいです。「気分は未亡人」(1984)の逆の立場みたいです。「夫婦の姓が入れ替わり、自分が女性化している」といった内容の内容の発言もありました。拓郎は笑いながら愛子夫人と築いてきた親密な関係を話してくれます。夫婦という形が昇華された後の、人間としての関係性。激動の時代を経て、拓郎夫婦に安息の日々があることに長年のファンとしての喜びがあります。
ラストコンサートのアンコール(ラスト)で歌われた「今夜も君をこの胸に」。いつも雨降りだった拓郎も、雨上がりの陽だまりのような心境にたどり着いたんじゃないかな・・・そんな気がします。
吉田拓郎【LIVE73y感想-10-今夜も愛をこの胸に】

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